殴り壊した。打ち砕いた。押し潰した。殺して、殺して、殺して、殺し続けて……血みどろの両手は乾くことなく、涙ばかりが涸れ果て、それでも男は立ち止まらない。
増えた悲劇の数よりも、守れた尊厳の数が勝るなら、それが正しいのだと信じた。ひとときの希望よりも、確かな断絶こそが彼らの救いになるはずだった。
�爐�前は先が見えていないね��
その生き方では未来はないと、遠い面影が言う。
終わりはない。果てはない。ならば進んだ先に何がある？
ひとつ、またひとつと足元に骸が積まれる。どの顔も記憶にあった。かつて男がその手で殺めてきた人々のそれだった。おびただしい数の屍肉と流血が山河を築く。
突然、ふっと視界が開けた。
幕間のような暗転に次ぐ、薪の燃える音。
暖炉のぬくもり。やさしく、あたたかな部屋――平穏の具現。
いつしか血濡れた手は乾き、涙はとめどなく溢れていた。
妻が微笑み、娘が笑顔を弾ませている。
「おかえりなさい、パパ！」
屈んだ父親の首へ、娘はちいさな両手で抱きついた。無垢な愛を感じた。
「おかえりなさい、あなた」
膝をつく夫の肩へ、妻は繊手を添えて微笑みかけた。深い慈しみを得た。
誰も傷つかず、虐げられることのない世界。完成された理想郷が、そこにはあった。否、安らぎはもうここにしかなかった。
血に浴した正道の果てに、あるはずのない優しさを見出した。このささやかな静穏だけが世界の全てであるならば、男はもう何も覚悟し、何を迷う必要もなかった。
「もう苦しまなくていいんだよ」
「そうよ、あなたはもう幸せになっていいの」
ここにあるのは幸福だけだ。
「大好きだよ、パパ」
ああ――と吐息して、男は愛娘のちいさな頭をかき抱いた。
「ありがとう……お父さんも君が大好きだ。ともに生きていこう……」
まぎれもない本心。心底からの言葉を捧げながら、娘の髪に指をすべらせる。
「……次の
瞬間、幼女のあたまが破裂した。瑞々しい果実を踏みつけにしたような音。細髪の絡まった肉片が飛び散り、男の総身を赤く染め上げた。
男は立ち上がる。傍らの女はまだ微笑んでいた。彼女たちは男を否定しないし、傷つけない。それでは違う。そんなものは二流だと、男は嘆息した。
手を差し伸べると、女はするりと身を寄せてきた。背に巻きつく細腕と、胸に預けられるしなやかな身体。
「いいのよ」
赦しの言葉。何に対してのものかは、女自身、分かってはいないだろう。
「……僕はね」
「なあに、あなた」
女に抱擁されながら、その白い頬を両手で包む。
「君たちを逃避先にしたことは、一度もなかったよ」
脳漿が石榴が散る。先の焼き直しだ。
そこには痛みも悼みもない。ここにあるものは、何もかもが空虚だった。
何故――と忘我の声を聞いた。気がつけば景色がまた変転していた。
いや、そうではない。元通りになったのだ。
焼け落ちた貧村。助けを求める声と、救いを望むことすらできない瞳に囲まれた、赤い紅い朱い世界。もはや見慣れた、しかし何一つとして同じではない光景。
「……そうか。今のが君の天恵だね」
深く
挑むような視線。お前には負けないという強い眼差しを、男はただ悲しんだ。
「君は……強いな。それではとても、帝都ではやっていけまい」
一歩、前へ進む。親子との距離が狭まり、子供が手を振りかざした。二度はない。天恵による干渉を、男は己が天恵を以て打ち消した。
淀みなく歩を進める男に、母親らしき女が悲鳴をあげた。後退りしようにも、半壊した家屋がそれを阻む。
怖がらせたくはなかったと、男は己が失態を悔やんだ。せめて共に逝かせてあげなければ、何のためにここへ来たのか分からなくなる。
渇いた唇が開く。別れの言葉を紡ごうとして、しかしそれは遮られた。
「待ちなさい……！」
凛、と通る声。まさか――と振り返るよりも先に、男の身体は吹き飛ばされた。瓦礫の山に背中から叩きつけられ、吐血の絡んだ喉が空気を吐き出した。
「……君、は」
ぐ、ぐぐ、と痛む体を持ち上げ、睨めつける。見覚えのあるシルエット。今度は男が何故と忘我する番だった。何故、ああ、何故だ――なぜ邪魔をする！
「――フロリア・スィ・ラシュカ……！」
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